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第7話 毒虫の幻覚と入院


 「シアナマイドどうしたんですか?」次の日、青島さんに聞かれた。「コンビニのゴミ箱に捨てました」僕が答えると「探しに行こう。まだゴミ箱の中にあるかもしれない」青島さんはコンビニのゴミ箱をあさりに行こうとした。「僕、その薬飲む気ありませんよ」僕の言葉に青島さんは絶句した。「とりあえず先生の診察を受けよう」と言われた。
 ドクターの診察で、僕は“抗酒剤を飲みたくない”旨をドクターに伝えた。難しい話だが、患者が拒否している薬を無理に飲ませるのは、たとえドクターでも無理みたいだった。僕は“抗酒剤”と言う恐怖の薬から、とりあえずは逃げることができた。
 僕はSクリニックの“デイ・ナイトケア”と言うプログラムに毎日通った。月曜日から金曜日までは午前8時30分から午後18時30分までの10時間拘束。土曜日は午前8時30分から午後2時30分までの5時間拘束。日曜日は休みだが祝日は平常通り開催と言う、もう人生がその“デイ・ナイトケア”プログラムの為に存在しているのでは無いかと思わせられるほどの拘束ぶりだった。なぜそんなに拘束するのかは青島さんから説明を受けていた“あなたたちは、時間が有ったら酒を飲むでしょ。だから余計な時間を与えないんです”そんな説明だったと思う。
 Sクリニックの“デイ・ナイトケア”には一週間もしない内に嫌気がさした。“休み時間”と言われる“何も無い時間”が長過ぎるのだ。午前と午後にプログラムと呼ばれる何かをする時間が設定されていたが、プログラム以外と食事の時間以外はすべて“休み時間”だった。僕は、その“休み時間”をどうして過ごせば良いのか分からなかった。だって、ただただ何もない時間なのだ。他の患者さんに声を掛けることも出来なかった。なぜなら僕は視線恐怖症。視線恐怖症とは実は“沈黙恐怖”と言う症状とセットになっていて、まず、視線恐怖から言うと“休み時間のあいだ顔を上げられない”誰かと視線が合うのが怖いのだ。そして沈黙恐怖。これは誰かと喋ってしまった場合、会話が途切れるとどうして良いのか分からなくなり、“何か喋らなきゃ” “何か喋らなきゃ”と心理的に追い込まれる病気。どっちもアウトだった。“デイ・ナイトケア”のフロアには常時20人くらいの人が居る。“休み時間”も同じだ。何も無いのにみんなその部屋に居るのだ。僕はパニックになった。意味が分からない。知らない人20人と大きな箱の中に閉じ込められる恐怖。僕は逃げたかった。逃げることもした。“休み時間”にクリニックの外に出て散歩することも試みた。でも外に出ている間に診察に呼ばれたらしく、僕が居ないことをスタッフに気付かれてしまった。「デイ・ナイトケアの最中は必ずクリニックの中に居てください」怒られた。ただただ単に、黙って沈黙、そして関りも何もない20人と過ごす時間が強烈にストレスとして僕に降り掛かった。デイ・ナイトケアが終わると、“もううんざりだ!”と逃げる様に家に帰った。もちろん帰りの途中のスーパーマーケットで美味しいつまみとお酒を買って一目散に家に帰った。“家に帰って酒を飲む”これが“デイ・ナイトケア”の憂さ晴らしになっていた。と言うか定着していた。とりあえず“デイ・ナイトケアに行かないと生活保護が貰えない”そう思っていた。毎日“デイ・ナイトケア”に行き、そこでストレスをたんまり溜めて家に帰って酒を飲みストレスを発散する。これが日課になっていた。その時は気付かなかったが酒の量は増えていただろう。だって、10時間拘束されてその憂さを晴らす為の飲酒だ。“もう嫌だ”そう思いながら酒をあおった。

 家に“毒虫”が出始めたのはSクリニックの“デイ・ナイトケア”に通い始めて一ヶ月半くらいの頃だった。最初は一匹の大きな虫が壁を登っていくのが見えた。僕はすぐにその虫に殺虫剤を噴射して殺した。ぽとッと虫は壁際に置きっぱなしになっていたパック飲料の飲み掛けのパックの裏に落ちた。説明しなければならないが、“毒虫”と言うのは、僕が勝手にそう呼んでいただけで、正確にはクモの大きいの。ただ、クモでは無い。毛ガニの黒いやつ。なんて言えばよいのだろうか、直径10センチくらいの黒くてなんとなく丸くて足がうようよ生えた、虫である。紙パック飲料とは、焼酎の“鏡月”と言うやつを割る割ものの飲料である。そのころ僕は、お金が無かった。生活保護を受けてはいたが、山谷地区の時とは違い、水道光熱費を生活保護費の中から払わなくてはならなかったので、スーパーマーケットで売っている缶の酒や瓶の酒を買えるほどの余裕は無かったのだ。ネット通販のamazonで“鏡月”と言う酒が16リットル1万円で売っていた。瓶のボトルに換算すると、ボトル1本500円しない計算になる。それを飲む為に“割もの”が必要だった。ロックで飲む習慣が無かっただけだが、とりあえず何かで割らないといけない。そこで考えたのが“紙パック飲料”だった。本来であればペットボトルの炭酸飲料で割るところなのだが、“割もの”に百数十円も出すのは御免だった。紙パックの1リットル飲料なら、スーパーマーケットで100円くらい。しかも果汁100パーセントジュースだったりもするのだ。鏡月に果汁100パーセントジュースを少し入れて、そこに水を入れるとほんのりフルーティーなお酒の出来上がりだった。でも僕は、毎日毎日お酒でブラックアウトして寝ていた。寝る瞬間の記憶が無いのだ。だから飲み掛けの紙パックが中途半端な状況で残ってしまう。それを壁際に並べていたのだ。殺虫剤で殺した毒虫が壁際の紙パックの裏に落ちた状況はそうやって生まれた。たぶん飲み掛けの紙パックの中身が腐って、そこから毒虫が生まれ、それを僕が殺虫剤で殺して、死体はまた紙パックの裏に落ちていく。気付くと、僕は怖くて、その紙パックを見ることが出来なく成っていた。見るのも怖い。それを捨てる処理をするのも、どけたら毒虫がうようよ居る様で触ることも出来なく成っていた。

 整理するが(これはずいぶん後から整理したことであるが)、Sクリニックの“デイ・ナイトケア”は、僕のアルコール中毒を進行させていた。そりゃもちろんだろう。Sクリニック側は抗酒剤を服用して“デイ・ナイトケア”に参加する前提なのだ。それがストレスになって飲酒量が増えているなんてことは考えてもいないことだろう。そして、その“デイ・ナイトケア”に通わなければならないと言うことが、僕の飲酒スタイルをガラリと変えていたのだ。前は、昼間っから酒を飲んでいたが、一度に飲む量はそんなでも無かった。“酒を飲んでちょっと眠り”、また“酒を飲んでちょっと眠る”そんな繰り返しだった。でも“デイ・ナイトケア”に通うことに成り、それが出来なく成った。昼間は酒が飲めないのだ。しかも“デイ・ナイトケア”のストレスは半端なかったので、その憂さを晴らす為に夜は大量に酒を飲んだ。だってそうだろう。次の日の朝に成ってしまったらSクリニックに行かなければいけないのだ。だったら夜の内に浴びるほど飲もう。それしか無かった。日に日に飲酒の量が増えていることに気が付かなかったのも仕方がない。僕は、Sクリニックの“デイ・ナイトケア”が本当に嫌だった。酒で紛らわして、忘れること以外に、その嫌な“デイ・ナイトケア”から逃れる方法は無かった。

 ある日、夜に酒を飲んでいると、紙パック飲料の飲み掛けが並んでいる裏から、大量の“毒虫”が壁を伝って上がって来た。殺虫剤を降り掛けた。ぽとッ、ぽとッ、音を立てて“毒虫”の死体が紙パック飲料の裏に落ちた。でも殺しても殺しても、殺してもいくら殺しても、紙パック飲料の裏から“毒虫”がわいてくる。気が付くと壁一面毒虫だらけだった。気が狂った。殺虫剤をばらまき過ぎた。“げほッ。げほッ。”僕はむせていた。これ以上殺虫剤を散布したら自分がヤバい。でも壁中にうようよ動き回る“毒虫”を殺したい。こんな部屋に居られない。“毒虫だらけの部屋”ゾッとした。背筋が凍った。でも、ここ以外に僕の居場所も無い。ただただ濃い目の酒を作った。早く、早くブラックアウトして寝たい。この部屋から逃げたい。酒を飲んで気絶したい。そうやって、強烈な度数の酒を大量に飲んだ。目の前に居る“毒虫”達と闘いながら飲んだ。そう簡単には酔わなかった。背筋が凍るほどの恐怖と闘いながら酒をのんだ。
 どのくらい飲んだのかなんて覚えていない。ただ“いつもとは違う朝”だった。目をあけると、天井に直径20センチくらいの大きな“毒虫”が張り付いていた。怖かった。ちょうど僕の顔の上の天井だった。“落ちて来たらどうしよう”そう思った。壁の“毒虫”は居なくなっていた。ただ一匹天井に巨大なのが居る。“殺虫剤で殺そう”とも思った。でも落ちてきて、自分に攻撃してきたら、その方が怖いとも思った。天井の“毒虫”は動かなかった。ただ、確かに居るのだ。そこに巨大な毒虫が居る。“怖い”とか考える余裕は無かった。僕は焼酎をグラスに注ぎ割もので割って飲んだ。不味かった。何日前の“割もの”か分からなかった。でも仕方がない。今は毒虫の恐怖から逃れる為に、酒を飲むしか仕方が無かった。 “デイ・ナイトケア”?そんなことを考える余裕も無かった。朝から泥酔した。ただただ天井の毒虫が落ちて来ないことを願った。ドアのピンポンが鳴った。ガチャっドアが開いた。なぜだろう鍵をかけ忘れていたのだろうか?「西田さん大丈夫?」声がした。声の方を見るとSクリニックの青島さんが居た。「迎えに来たよ。クリニックに行きましょう」そう言われて、僕は「帰れー!!」と叫んでいた。こんな時にクリニックなんかに行ってられるか?そう思った。「帰れー!!」「帰れー!!」僕は青島さんが帰るまで喚き散らせた。そして酒を飲み続けた。便利な物である。16リットル1万円の鏡月。正確には4リットルのボトルが4本で16リットルだったが、飲んでも飲んでも無くならないのだ。“割もの”が無くなった後は“水割り”で飲んだ。もう味なんかどうでも良かった。どうでも良い。天井の“毒虫”が落ちて来さえしなけれあば、あとはどうでも良かった。“飲んでも飲んでも無くならない鏡月”そして水道の水。これだけあればもうそれで良かった。何も食べていなかった。“飲んでも飲んでも無くならない鏡月”ただそれがそこにはあった。
 次の日も青島さんは来た。僕は泥酔していたので追い払った。
 3日目、青島さんは強硬手段に出た。部屋に入って来て、脱ぎ捨てられていた服を僕に着せた。そして無理やり部屋から出したのだ。「いいから来い」そう言って僕を外に連れ出した。家の近くの駐車場にSクリニックの車がとまっていた。僕は助手席に乗せられ「どのくらい飲んだんだ」などと聞かれた。僕は答えず、ただただ“具合が悪い”旨を青島さんに伝えた。Sクリニックに着くと、そのまま診察室に通された。「もう入院しかないな。入院。」ドクターがそう言った。僕は「どこの病院ですか?一生出れないとかは嫌です」そう口走っていた。そうである僕にとって“入院”とは“ホームレスの施設”とセットだと頭の中で思っていた。「近くの内科だよ。アルコールの解毒をしてもらいなさい」ドクターの言葉にホッとした。30分くらいで区役所のケースワーカーが来た。救急車?あれでもなんか違う。ワゴン車みたいなのに僕は乗せられた。行き先は教えてもらえなかった。でも10分くらいで目的の病院に着いた。ケースワーカーが入院の手続きをしていた。覚えているのはそこまでだ。気が遠くなっていた。



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