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第8話 入院とアルコール離脱症状、そしてまた入院


 “僕は救急車で運ばれている”そう気付きハッとして目が覚めた。近くに看護婦さんが居たので「僕また入院したのですか?」と聞いた。「西田さん気が付いたのね。良かったー」看護婦さんが安堵の表情をして「先生呼んできますね」と言った。“いや、だから、僕はまた入院したのか?”心の中でつぶやいた。ドクターが来たので「僕また入院したのですか?」と聞いた。「“また”ってどう言うことですか?」ドクターが不思議そうな顔をした。「いま救急車で運ばれてきたじゃないですか?」そう言う僕に「無理もないですね。西田さん二日半意識不明だったんですよ」とドクターが言った。“二日半意識不明” ってなんだ?頭が整理できなかった。その後、看護婦さんから聞いた話だが、僕はSクリニックから、この病院“D病院”に区役所のケースワーカーに連れられて来たらしい。入院初日にトイレで気絶しているところを発見され、その後、二日半意識不明で、病院側としては“脳神経外科がある病院に転院”なども考えていたらしい。“救急車で運ばれている”記憶は意識不明の僕が見た夢だった。いろいろ整理が出来て、改めて自分の姿を見ると異状だった。まずオムツをしていた。身体は拘束ベルトでベッドに固定されていた。自分の体や髪の毛から、なんとも言えない不潔な臭いがしていた。

 後から知ったことだが、アルコールには禁断症状がある。毎日毎日昼夜問わず酒を飲んでいた様な人間が、ピタッと酒を止めると、禁断症状が出るのだ。これは経験した者しかわからない。普通、酒を飲んでゲロを吐くのは“飲み過ぎ”の状態である。でも酒を止めて2~3日すると、酒も飲んで無いのに吐き気がしてきて、“吐き気”では無い実際に吐いてしまうのだ。何を吐いたのかわからない。だって酒を飲んで無いのだ。なにか訳が分からないネバネバした液体を吐くのだ。そして一度吐いたら終わりとかでは無い、吐けなくなるまで何度も何度も吐くのだ。最終的には“吐くもの”が無くなる。胃と食道と口が開いたまま一直線につながって、何も無いものを吐こうとする。その苦しみは一晩中続くのだ。“もう吐けない”そう感じた後も、なにかを吐こうとしてもがき苦しむ。
 僕は、意識が戻った次の日から、この“禁断症状”に苦しんだ。
 D病院での入院生活は、あまり覚えていない。最初の二日半が意識不明で、その後2日ほど禁断症状に苦しみ、禁断症状が明けた3日後には退院だった。

 後から知った話ばかりだが、D病院入院中に体験したすべての苦しみは“アルコール離脱症状”と言う言葉で説明がつくらしい。二日半の意識不明はトイレで気絶して後頭部を打ったから。なぜ気絶したかと言うと “アルコール性てんかん”と言うこと。これは“アルコール離脱症状”の一症状として有名らしい。そして“禁断症状”による嘔吐も“アルコール離脱症状”の一症状として有名らしい。すべては、次に入院することになるH病院での“アルコール治療プログラム”の授業の中で勉強することになるのだが、この時の僕にはそんな知識も無ければ、酒を飲んだことに対する罪悪感も後悔も1ミリも無かった。

 D病院を退院した僕は、すぐに家に帰り、酒を飲んだ。D病院はアルコール治療の病院では無かったから、元気になれば、即退院だった。わがままな話だが、根本が解決していないのに入院させて退院させても意味は無かった。“酒を飲みたい”僕は一心不乱に家に急いで帰ったのだ。D病院のドクターや看護婦さんの献身的な看病や思いは、すべて水の泡として消えた。

 退院後Sクリニックには行かなかった。朝から酒を飲み続け、あっという間に元のアル中の状態に戻った。D病院では給食を食べていた。退院してからは何も食べなかった。と言うか経済的に困難だった。お金が無いのだ。D病院は普通の病院だった。他の患者さんは家族が着替えとかを持ってきてくれていた。僕にはそれが無いので、仕方が無く1日750円の入院セットを注文していた。入浴セット代とか、なんやかんやで1万円くらい請求された。酒は家に有った。Amazonで買った16リットルの鏡月が残っていた。何も食べずにひたすら鏡月の水割りを飲んでいた。
 Sクリニックの青島さんは毎日様子を見に来た。この頃は“青島さんは金のために来ている”と思っていた。“一訪問いくら”の料金制だと思っていた。だから軽くあしらった。一週間くらいして見かねた青島さんが僕を家から引きずり出してSクリニックに無理やり連れて行った。処置室と言うところで点滴をして貰った。とりあえず、身体に栄養を入れないとダメだ。そう言っていた。するとそこにドクターが来た。診察室では無く処置室でドクターが僕に語り掛けた「もういいだろう。入院しな」。“入院はこの前した”僕はそう思った。ドクターはそれだけ言って帰ってしまった。青島さんが来た「今度は、ちゃんとしたアルコール治療をやっている病院に入院します。いいですね?」と言われ僕は「退院後にホームレスの施設行きとかは嫌です」と拒否をした。「どういう意味?」青島さんは不思議な顔をした。それもそうだ。区役所でのやり取りなど青島さんは知らない。怖がる僕に「3ヶ月くらい入院したら家に帰れるよ」と言ってくれた。僕は安心して「わかりました」と入院を承諾した。

 入院先はH病院だった。他の入院患者さんに聞いた話だがH病院はアルコール治療で有名な病院らしい。東京でアルコール治療で入院する場合“海が見える病院と山の見える病院どっちがいい?”と選ばされる場合の“山が見える病院”の方だった。
 H病院では、すぐに点滴が施された。5日間くらい黄色い点滴が昼夜を問わず行われた。どうもアルコール離脱症状を軽減する点滴だったらしい。おかげで“アルコール性てんかん”にも成らず、“禁断症状による嘔吐”も無く、入院生活が始まった。
 H病院では、“アルコール治療プログラム”と言う授業を受けさせてもらった。毎日講師の先生が来て“アルコール依存症とはどんな病気か”と言う知識を植え付けられるのだ。本気で専門学校にでも来ているかの様な、専門的な脳医学の授業などを受けさせてもらった。授業を聞いているウチにわかってくるのだ。“アルコール依存症”とは“脳の病気”であり、自分ではどうすることも出来ない。そんなことがしっかりと理解できる素晴らしい授業だった。
 ただ、そこで教わったアルコール依存症の治療方針とSクリニックの治療方針が“真逆”だった。Sクリニックでは“抗酒剤を飲ませて飲酒できなくする”と言う治療が行われていた。H病院では“抗酒剤は、単に酒を飲めなくするだけで、根本的治療では無い”と言われた。“ドクターから抗酒剤を勧められても断れ”と教わった。ただH病院の講師はこう言った「あなた達は退院したら酒を飲むでしょ。それは構わない。それで具合悪くなったら戻って来なさい。何度でも何度でも同じことを教えてやるから」そして「酒は、自分で止めなければならないと気付くまで止められない。気付くまで何度でも何度でも同じことを教えてやるから」とも言っていた。その通りだと思った。抗酒剤を飲ませて“断酒成功”それも成功事例だろう。でも“飲めなくなる”と“自分で止めようと思う”では天と地の差がある。もちろんH病院が“天”であり、Sクリニックが“地”であることは言うまでもない。僕はH病院の治療方針が正しいと思った。何度失敗しても分かるまで教える。それが正解だと思った。ちなみにH病院のドクターからも抗酒剤を薦められたが講師の先生に言われた通り断った。ドクターと相談の上“レグテクト”と言う飲酒欲求が少なくなる薬による断酒治療を選んだ。



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