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第10話 この世の果て


 Sクリニックのドクターから診察を断られてから3日が過ぎた。当然Sクリニックには行っていなかった。そして僕の生きている世界がガラリと変わった。Sクリニックに行かなくても青島さんが迎えに来ないのだ。今回の生活保護を受けてから初めての体験だった。もう僕とSクリニックは関係ないのだ。自由にも思えるが、恐怖でもあった。区役所との間の約束はどう処理されるのだろう。そんなことを思っている内に3日も過ぎたのだ。「前に通っていたクリニックに戻りたまえ!」と指示されたのだから素直に前に通っていたクリニックの門を叩けば済む話だった。でも“Sクリニックから診療を断られた”なんて言ったら生活保護が貰えなくなるのではないか?などと余計な事を考えてしまった。
 いまさら手遅れだった。睡眠薬は昨晩の分で無くなっていた。前に通っていたクリニックに電話をした。結果「今通っているクリニックからの紹介状が無いと無理です」と断られた。でも、“今の僕には主治医が居ない”そんな風に考えた。素直に“Sクリニックに頭を下げる”それは選択肢に無かった。だって“Sクリニックに頭を下げる”と言うことは“抗酒剤治療を受け入れる”と言うことになるのだ。僕は絶対にそれだけは嫌だった。
 眠れなかった。“睡眠薬が無いと眠れない”普通の人にはわからないことだろう。ただ“薬への依存”と言うのもあるのだ。僕は36歳の時から十数年間も睡眠薬で眠る癖がついている。精神科に通うと、普通に睡眠薬を処方されるのだ。それが癖になっていて“睡眠薬が無いと眠れない”なんてことに成ろうとは考えてもみなかった。当たり前だが、病院から診療を断られるなんて初めての体験だ。どうして良いのか分からない。
 この3日間、酒は飲んで無かった。でも僕は思った。思ったと言うより気付いてしまった。“強いお酒を飲んでブラックアウトすれば寝れる”そうである。何度も体験している事では無いか?お酒を飲めば良いのだ。お酒を飲んで泥酔すれば寝れるじゃないか!?そう納得すると同時に、その気持ちは“青島さんへの恨み”に変わっていた。“あいつのせいだ”心の意外と浅い所で、そう叫んでいた。僕は濃い目の鏡月を飲んでブラックアウトして寝た。寝れた。
 ちょうど運が悪いことに“特別定額給付金”が出た直後だった。財布に一万円札が何枚も有った。“睡眠薬なんか無くても眠れるや!”そう思った。スーパーマーケットに行って発泡酒の6缶セットを買ってきた。朝から飲んだ。350ミリリットルを6本一気に飲めばブラックアウトする。数時間は眠れる。それを朝、昼、晩の3セット、一日に18缶もの発泡酒を空けた。幸せだった。誰にも文句は言われない。昼間っから酒を飲んでいても、誰にも文句は言われない。Sクリニックに出会う前の僕に戻れた様な気持ちだった。“自由”を直に感じていた。
 でも、神様がそんなことを許すハズも無かった。僕に不幸が度重なって起きた。まず、リビングの証明が点かなくなった。最初は暗い部屋で酒を飲んでいた。普通に考えればマンションの管理会社に電話すれば良いのだろうが、アル中の頭はそうは判断しなかった。リビングを諦め、玄関に布団を敷いて、そこで酒を飲んだ。玄関とキッチンはセットだったが、キッチンなど使う必要は無かった。お金があった。だから酒を買うついでに数百円のつまみも買って来れた。お金があったのだ。“特別定額給付金”は生活保護の人間にとってあぶく銭だ。普通の人は“新型コロナ”によって職場が休業して時給が出ないなど生活に困っているのだから“特別定額給付金”は有難かっただろう。でも、僕にとっては“あぶく銭”美味しいつまみと泥酔できるほどの酒。もう両手を広げてバンザイできるくらいの幸せな気持ちだった。自分が、狭い玄関で泥酔していることなんかどうでも良かった。と言うか、その異常性に全く気付かなかった。2つ目の不幸は“トイレが詰まった”トイレが流れなく成ったのだ。でも、そんなことはどうでも良かった。“流れないなら溜めればいい”そう考えた。便器がうんこでいっぱいに成った。“めんどくさいな!”僕は、便器に山盛りに成ったうんこを割りばしでつかみゴミ袋にいれた。“あとでゴミに出そう”そう思って、便器の横にそのゴミ袋を積み重ねた。
 あっと言う間に僕の家はゴミ屋敷に成っていた。と言ってもSクリニックの診察を断られて一ヶ月が過ぎようとしていた。その間、僕はゴミ出しを一回もしていなかった。風呂にも入って居なかった。玄関に住んでいた僕は、本来なら居住空間であるハズのリビングをゴミ置き場にしていた。リビングは腰の高さくらいまでのゴミ袋で溢れていた。虫も湧いていた。部屋中をコバエが飛び交い、その中に時折大きい虫も混ざっていた。
 都会とは残酷なものである。何週間も風呂に入らず、同じ下着、同じ服を着た僕。そう家は有っても、誰がどう見てもホームレスそんな僕が買い物に行ってもスーパーマーケットは拒否しないのだ。自分の周りから人が遠ざかって行くのを感じた。だれも僕に寄り付かない。完全に避けられていた。スーパーマーケットでレジに並んでいても、僕の後ろには誰も並んでいなかった。ただ単に、レジのお姉さんはお客さんとして扱ってくれる。そんな都会の雰囲気につつまれて、いつしかそれは当たり前のこと。風呂なんか入らなくても世界は同じく回っている。もう気に成らなくなっていた。僕が居なくても世界は同じに回っている。そんなことさえも考えなかった。どうでも良かった。

 気が付くと“浜ちゃん”が“仙台弁”で喋ていた。僕は、お酒を飲む時にダウンタウンの浜ちゃんが出演している“ごぶごぶ”と言うテレビ番組を見る。“ごぶごぶ”を見る為だけに月額約500円の毎日放送のサブスクリプションを契約しているくらい好きな番組だ。いつもの様に、お酒を飲みながら“ごぶごぶ”を見ていたら、“浜ちゃん”と“東野幸治”が“仙台弁”で出演していた。出演していたと言うより、前に見たときは関西弁だったハズの同じ放送回が仙台弁に変わっていた。しかも、他の放送回を見ても全部仙台弁なのだ。腹が立った。面白くなかった。仙台弁で喋る“浜ちゃん”と“東野幸治”そんなの見たく無かった。毎日放送に苦情の電話をかけようと思った。ネット検索で毎日放送の電話番号を探したが、わからなかった。だったら、なぜ関西弁のテレビ番組を仙台弁に吹き替えする必要があったのか?毎日放送は何の目的で関西弁のテレビ番組を仙台弁に変更したのか?調べようとして“はっ!?”と我に返った。“幻聴だ!”幻聴なのだ!僕の故郷は仙台である。関西のテレビ番組を仙台弁にする必要なんか無い!僕の脳が狂っているのだ!初めての体験だった。“幻聴だ”と理解している状況で、“幻聴”だと分かっているのに、“幻聴”が聞こえているのだ。普通“後から幻聴だったと気付いた”だと思う。幻聴だと気付いている本人の目の前で“幻聴”が鳴っているのだ。“もう終わりだ”と思った。何度も何度も同じ放送回を視聴した。幻聴だと分かっているのに仙台弁だった。お酒を飲むのが楽しく無くなった。“なんでこんな目にあってまで酒を飲む必要があるのか?”そんなことを思った。酒を飲まないまま半日が過ぎた。その間、僕はただただ布団んに横になっていた。何も聞かなかった。“聞いたところでまた幻聴だ”あきらめた。
 たったの半日お酒を飲まなかっただけで手が震えた。気持ちが悪かった。最近はお金があったので、鏡月の水割りでは無く、缶の発泡酒を飲んでいた。鏡月の在庫は無かった。ここで問題が起きたのだ。つまり、お酒を買いに行かないとお酒が無いのだ。これは普通の問題であるかの様に思える。ただ禁断症状で具合が悪い僕にとって、“お酒を買いに行く”と言うミッションは無理があった。もう一度“浜ちゃん”の“ごぶごぶ”を見た。やっぱり“仙台弁”だった。もうすべてが嫌になった。布団に横に成ったまま、ただただ時間が過ぎるのを待った。“酔いが醒めれば普通に戻る”そう思った。
 1日~2日布団で横になっていた僕に“嘔吐”が襲ってきた。禁断症状の“嘔吐”である。上を向いたまま、真上に向かって何かの液体を吐いた。顔、髪の毛、シャツに吐瀉物(ゲロ)が降り掛かった。臭い。すっぱい。気持ち悪い。ふたたび嘔吐した。今度は口を横に向けて自分にゲロがかかるのを避けた。でも、自分が寝ている布団に吐いたゲロは布団に浸み込んで、結局、“体中ゲロまみれ”と言う結果になった。何度も何度もゲロを吐いた。
 “ゲロを吐く”と言う行為は、結構つらいものである。“オうエー!エ!!”胃から食道を通り何かが口から飛び散る。 “オうエー!エ!!”ゲロを吐く度に“もう嫌だ。許して!”と思った。怖くてゲロを我慢した。“怖くなる”ほど“ゲロを吐く”と言う行為はつらいのだ。真上を向いて横になっていると落ち着いた。トイレに行こうとして上体を起こしたら、気持ち悪くなってゲロを吐いた。すぐに横になった。もう一度上体を起こした。またゲロを吐いた。“真上を向いて横になっている姿勢”それ以外はゲロを吐くみたいだ。“怖くてつらいゲロ”を吐くのを防止する手段は、真上を向いて横になる以外無かった。
 布団の中で“おしっこ”をした。“シャー”っと布団の中に生暖かいものが広がった。もうどうでも良かった。ゲロさせ吐かなければどうでも良かった。
 もう何日経ったのか分からない。何度も何度も布団の中でおしっこをした。下痢便も出た。“ブリブリ”と音が鳴って、臭い臭いが広がった。もうどうでも良かった。
 何日経ったのか分からない。足の上を、なにかミミズの様なつながった虫が這う感覚があった。うようよと何かが這っている。でも顔を上げるとゲロが出る。もう見る気もしなかった。体中に何かが這っている。背筋が凍りつく。体中虫だらけだ。目を開けると顔の上を無数の小さい虫が飛び交っていた。
 おしっこが出なくなった。何度布団の中で“おしっこ”と“うんこ”をしただろう。もう覚えていない。でも“おしっこが出なくなった”のは恐怖を感じた。“死ぬ”そう思った。なぜか僕の手には“発泡酒の缶”が握られていた。どこに有ったのか分からない。なぜ発泡酒の缶を握っているのまったく分からなかった。しかもその発泡酒は未開封だった。“すべて飲んだハズ”“この部屋には酒なんか無いハズ”だった。“神様のプレゼント”だと僕は思った。“この発泡酒を飲めば、一時的に禁断症状が止まる”神様がそう言ってくれている気がした。“最後のチャンスだ。これがコンビニに酒を買いに行く最後のチャンスだ!”そう思った瞬間、僕は缶を“プシュッ”と開けて発泡酒を胃に流し込んだ。“これが最後のチャンスだ”コンビニに行かなくては!もう何も考えていなかった。ゲロまみれ、うんこまみれ、何日も取り替えてない下着。でも僕はコンビニに行った。“鏡月”のボトルを買うことに成功したのだ。今思えば恐ろしい姿だったと思う。ホームレスどころの騒ぎでは無い。ウンコとゲロをまとった僕は、コンビニに行けたのだ。
 今思えば“なぜ鏡月を買ったのか?”だった。アルコール度数が低いチューハイとかを買えばよかった。でもそんなことを考える脳はそこには無かった。家に帰ると、プラスチックのカップに鏡月を3分の1くらい注ぎ、水で割って、ゴクゴクと飲んだ。“禁断症状”から抜け出せるバズだった。バズだった。しかし次の瞬間、飲みほした水割りをすべて吐いてしまった。“禁断症状”から抜け出せるバズだった。バズだった。僕の身体は、もう酒を受け付けなくなっていた。愕然とした。唯一の救いであったハズの酒が飲めない。気が遠くなって行った。
 朝になっていた。コンビニに行ったのが日中だったのか夜だったのかは覚えていない。気が付くと。窓から日差しが差し込んでおり、小鳥の鳴き声が聞こえた。僕は気絶していたのだろうか?吐き気は治まっていた。上体を起こし、ボーっと窓から入って来る日差しを眺めていた。「青島さんに電話をしなさい。そして、“抗酒剤飲むから助けてください”と言いなさい」神様の声がした。僕は携帯電話を手に取り、Sクリニックに電話を掛けていた。すべてが奇跡だった。まず、携帯電話なんてどこにあるのか分からなかったハズである。何日も見ていないし、充電されているハズも無かった。そして本来なら禁断症状で手が震えているハズで、電話なんかできるハズもなかった。でも僕は嘔吐もせず、普通にSクリニックに電話を掛けていた。「抗酒剤飲むから助けてください」青島さんにそう伝えた。「わかった迎えに行く」青島さんがそう言ってくれた。その瞬間、吐き気に襲われ、僕は嘔吐した。その後のことは覚えていない。



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